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多様性を認める

ダイバーシティと称するとなんだかかっこいいような響きがあるのですが、多様性を語る際には必ずネガティブな要素が混ざってきます。差別や区別があるから、多様性を声高に訴えなければならないのです。差別は言語道断とおっしゃる人がマジョリティになってきましたが、明確な差別に関してのみかとも思います。旧来刷り込まれてきた「常識」や、あまり感心のない事柄に関しては依然として差別が存在しています。

人はパターン化が好きなのだと思います。たとえば血液型、私なんかはAB型なもので血液型話題になると毎回変人扱いです。(変人かもしれませんが)全人類がたった4つのパターンの性格に分類されるわけないのに、こんなに市民権を得ています。罪がないので差別とは言えません。

最も顕著な差別は古今東西において男女差です。ジェンダーの問題はそれはそれは根深く、興味深く、それでいて極めて明確なジェンダー差は存在し続けていて、ジェンダー差と男女差別は単純に規定できないのも現実です。だって女性にしか子供は産めないのですから。

時代が流れ、変わり、人権意識が高まっているバックグラウンドには仕事の質の問題が大きく関わってきています。労働集約でしか付加価値を生み出せなかったそれは長い時間においては男性優位がしかたなかったと言えます。体格・体力を始めとする男性の特徴は労働集約型の働き方においては絶対優位に決まっています。今はほとんど関係なくなっています。それが機械化、自動化、システム化、AI・・・によって女性は開放されたのです。いまだ変わり切っていないのは古い経営者の意識だけなのです。